工場ががらんどうになり、床を磨き光を反射させあたりがよく見えるようになると、建物の傷みもあらわになってくる。工場は全体的に傷んでいたが、特に最も古い建物である整経場は天窓も塞がれて暗部となっていて、奥の柱は20cmも下がり、敷地内の隣の建物に屋根が寄りかかるほど危ない状況だった。 この場での行為を始めてから1年が経ち、2007年、屋根の状況を確認後、12月にこの建物を撤去する。 工場の中は壁による仕切りがなく、また柱も少ないため一見すべてでひとつの建物であるかのように思えるが、注意してよく見ると実際は4つの建物が壁を接するようにして密接して建てられている集合であることがわかる。そのためひとつずつの建物に分けて見直せば、それぞれバランスに不安があることがわかり、特に最も古い部分は構造自体の損傷が激しい。周りの建物との関係、現状などを考え踏み切ったことである。四方を他建物が取り囲むため、手作業での解体/ 分解を行なう。
屋根が一部腐り、上の瓦が落ちかけていた部分に内側から手をかけ、一枚ずつ瓦を外し、建物の内側に下ろし運び出す。蚕が繭から出ていくように、小さな穴から徐々に屋根を開いていく。少しずつ、きれいな光を内部に注いでいく。瓦と野地板、大量の土を運び出しながら屋根を外し終えると土壁を外し、最後には小屋組の木材を外して、古い既存のコンクリートの床のみを残し、整経場跡は空を見上げる中庭になった。
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